プロローグ
ケガや流血などの描写があります。
苦手な方はご注意ください。
「魔物だ! 殿下をお守りしろ!!」
王都近郊の森で、突如魔物の群れが現れた。
五名の護衛騎士たちが一斉に一人の男の子を取り囲み、防御態勢に入る。
敵の数は、およそ三十頭ほど。それでも、精鋭の騎士たちであれば十分に対処は可能だった。
......このときは
◇
それは、魔物を討伐後、急ぎ王都へ戻る途中の出来事だった。
馬の嘶いななきが聞こえ、馬車が急停車した。
「セリ、また何かあったのだろうか?」
「私が見て参りますので、ノヴァ殿下は決してここから出てはなりませぬ」
「わかった」
不安そうな表情を見せる十歳の主あるじへ微笑むと、セリーヌは馬車を出て素早く周囲を確認する。
目の前に広がっていたのは、目を疑うような光景だった。
先ほどの倍以上はあろうかという数の魔物が、行く手を阻んでいたのだ。
――まさか、魔物の大量発生か?
後の記録によると、魔物の異常発生現象が起きたのは隣国。
しかし、一部の魔物が国境を越え近隣諸国にも被害をもたらしたのだ。
圧倒的に不利な状況に騎士たちの間に絶望感が広がるなか、一人の騎士が口を開いた。
「各自、二十頭以上を仕留めれば終わるぞ。なあ、簡単な話だろう?」
「ははは...」
リーダー格の騎士が笑いを誘い、皆の士気を鼓舞する。
「何としてでも、殿下をお守りするぞ!」
「「「「応!!」」」」
一人の騎士が、馬車に加護の魔法をかける。
少しは時間稼ぎになってほしい...との願いをこめて。
魔物の注意を自分たちに引きつけると、騎士たちは死に物狂いで闘った。
剣が折れ、腕が噛み千切られようとも、彼らは絶対に諦めることはなかった。
◇
気が付くと、対峙しているのはセリーヌとトラのような大型の魔物一頭のみ。お互い傷だらけで血まみれだ。
辺り一帯は血生臭い臭いが立ち込め凄惨な状況となっているが、セリーヌは目の前の敵に全神経を集中させているのでそれを気にする余裕などなかった。
先ほどからセリーヌは、手足は冷たく感じるのに汗が止まらない。何度も何度も額の汗を拭っていた。
骨折したのか、あるいは腱が切れたのか、利き手である左手で剣を握ることさえ覚束ない。
――こんなことなら、右手ももっと鍛えておくんだったな...
『後悔、先に立たず』とは、まさにこのこと。
騎士学校の指導官だった師から、繰り返し言われた言葉が思い出される。
「たとえ利き手を潰されても、もう片方の手で剣さえ振ることができれば、己の勝ちだ!」
「勝利のために、使えるものは何でも使え!」
――師匠、不甲斐ない弟子で申し訳ございません。お説教は、あちらの世界で再会したときにいくらでも聞きますので...
先が折れた剣を右手に持ち替えると、セリーヌが準備を終えるのを待っていたかのように魔物が牙を剝き襲いかかってきた。
「カチン!」「カチン!」と剣と牙が交差する音が、辺りに何度も響き渡る。
攻防の末、右腕が剣ごと噛みつかれてしまったが、もうすでに感覚が麻痺しているのか痛みを感じることはない。そして、セリーヌはこの時を待っていた。
剣で阻まれた腕が噛み千切られる前に、自慢の柔軟な体を残りわずかな体力で持ち上げ魔物に左足で踵かかと落としをくらわせる。続けざまに体を捻り、右足のつま先で力一杯突いたのだ。
ブーツにはつま先と踵に仕込み刀があり、毎朝セリーヌはそれに毒を塗り直していた。
対人用の毒だが、弱っていた魔物にも効果はあったようだ。
魔物は首を振って暴れ、セリーヌは飛ばされた。
受け身を取る気力も体力も残っていないので、そのまま地面に投げ出され仰向けに倒れる。
もう目を開くことさえもできないが、遠くで断末魔の叫びと、何かが崩れ落ちる音が聞こえた。
神経を集中させ辺りを探ったが、魔物の気配は感じない。
――勝った...
敵は全て倒した。
主の安否を確認したいが、もう起き上がることができない。
このまま永遠の眠りにつこうとしたセリーヌを、ゆさゆさと揺り起こす者がいた。
「セリ、死ぬな!」
「...殿下、ご無事で......」
「まだ、私との約束をすべて果たしておらぬ! だから、死ぬな!!」
セリーヌたちと彼は、いくつかの約束をしていた。
彼女の赤紫色の瞳に似たブルーマロウの花畑を見に行くことはまだ実現できていないが、お忍びで街に出てこっそり買い物をすることは、すでに実行済み。
彼が成人したら、一緒にお酒を飲む話もある。
今日の実地訓練が終わったら、皆でささやかなお祝いをすることも決まっていた。
それから...
「私が成人するまでに婚約者が決まらず、セリが嫁に行けなかったら...私と結婚してくれるのだろう?」
◇
それは半年前、ノヴァ殿下こと、ノアルヴァーナ・グレイシアが十歳の誕生日を迎えた翌日のことだった。
「セリには...婚約者はいるのか?」
昨日、周囲から「そろそろ婚約者を...」と言われたノアルヴァーナは、側近の既婚者たちの経験談を聞いたあとセリーヌへ話を振った。
「恐れながらノヴァ殿下、セリーヌのような『じゃじゃ馬』を婚約者に...という男は、この世には存在しないかと...」
「ははは! 違いない」
腹を抱えて笑い合う同僚たちを睨みつけたセリーヌだが、否定はしない。
自分でもわかっている。私は女性として見られていないのだと。
「私はノヴァ殿下のご婚約が調うまでは、結婚をせずにお仕えしたいと存じます」
「...なぜ、私の婚約までなのだ?」
「今はまだ問題ございませんが、ノヴァ殿下のご婚約が決まった場合、女の私が殿下のお側にいるのは外聞が悪いですので...」
この世界では、成人は十五歳だ。それを過ぎれば結婚ができるようになる。
十歳の今でさえ見目麗しい姿が周囲の女性たちの心を鷲掴みにしている彼が、成人するころにはどのような男性になっているか、想像に難くない。
歳の離れた王太子殿下ら兄たちからも可愛がられ、将来は国を守る強い騎士になりたいと努力している心優しい主の評判を、自分が貶めることがあってはならないとセリーヌは説明した。
「で、では、こうしよう。私が十五歳になるまでに婚約者が決まらず、セリがその...行き遅れになってしまった場合......私が責任を取って、妻に迎えたいと思う」
「殿下は、何てお優しいんだ! セリーヌ良かったな、玉の輿だぞ!!」
「ノヴァ殿下、セリではかなり年上の姉さん女房になってしまいますよ?」
「殿下、ありがとうございます! このような不束者ではございますが、その時はよろしくお願いします!!
「わっはっは! これは、ノヴァ殿下に早く婚約者を決めていただかねば...」
◇
――ああ、そんな約束もしていたな...
先に旅立っていった同僚たちとの思い出が、次々と浮かんでは消えていく。
ふふっと、セリーヌは思い出し笑いをした。
「...殿下...もし私が...生まれ変わって...また...お目にかかること...ができましたら...ぜひ...嫁にもらってやって...ください」
「わかった。絶対、約束だぞ...」
セリーヌの顔に、ポタ、ポタ、と温かいものがかかる。
「ノヴァ殿下...王太子殿下を支え...国を守ってくだ...」
微笑を浮かべたセリーヌは、そのまま息を引き取った。
優秀な文官を数多く輩出してきた名門の伯爵家出身でありながら、卓越した剣技と身のこなしの素早さで、女性では異例の第三王子殿下の護衛騎士に抜擢された『セリ』こと『セリーヌ・ログエル』。
今日は奇くしくも、彼女の十七歳の誕生日だった。
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